ろまんすのかみさまを

浪漫を追い求めて日々邁進してまいります。

スティーブン・ヘイズ氏のTEDトークを見て感じたこと〜徒然なるままに〜

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ACTのあの本でお馴染みのヘイズ氏がTEDトークに出てました。

先輩のオススメで今旅先なのですが、やっとこさ見ることができました。

 

感動の20分弱でした。

ヘイズ氏の実体験に基づく、熱のこもったトークに引き込まれます。

まさかヘイズ氏がパニック障害だったなんて…

 

時に私たちにとって自分と「向き合う」ことは、言い換えて自分と戦うことであったり、今までの自分をリセットして、はじめからやり直した気持ちにしてみるなんてことだったりします。

 

そんなことないですか?僕はめちゃくちゃあります。

 

このあたりは表現が難しいのですが、私たちが普段「向き合う」思っていることこそが実は「逃げ」なのかもしれないということに気づくことがヘイズ氏のマインドなのかもとも思うのです。

 

「逃げ」という評価的な言葉には語弊があるかもしれませんし、思考を柔軟にすると言い換えた方がいいのかもしれません。

 

何からにげているのか。

それは過去の自分であったり、今感じている自分であったり。ようはそれは自分という存在自体を無視してしまっているから、泥沼にはまってしまう。

そんなイメージです。

 

今不安を感じていたり、苦しい自分を置きざりにしているといった方がよいのかもしれません。

 

今を置き去りにせずにアクセプトする。

そしてアクセプトしたニュートラル?な視点から(新しい自分)から価値あるものを選び実行する

それが真であり、新の自分が踏み出す1歩だよ

そんなメッセージ性を私はこの映像から感じました。

 

私自身はACTの詳しい専門家ではありませんし、間違いや語弊があるかもしれません。

 

詳しくは、ヘイズ氏の著書や動画を見てみてください。 

ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)をはじめる セルフヘルプのためのワークブック

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  • 作者: スティーブン・C・ヘイズ,スペンサー・スミス,武藤 崇,原井 宏明,吉岡 昌子,岡嶋 美代
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伊藤万理華『トイ』より。まりっかには何が見えていたのか。

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本作は元乃木坂46伊藤万理華の脳内博覧会にて上映されたムービーであり、先日YouTubeの乃木坂オフィシャルチェンネルより公開された。

www.parco-art.com

 

個展開催開催ののちに卒業を発表。

私自身も乃木坂46の1ファンであり、1期メンバーの卒業を惜しむ気持ちも大きい。

所在地の関係上、個展にいくことは叶わなかったが、通販でTシャツを購入させていただいた。

今年の夏を楽しみに待っているところである。

また彼女の持つアーティスティックな魅力は、むしろアイドルというよりは表現者のそれであり、今後の活動も楽しみにしている。

 

さて本題に入ると、以下のPVを始めて見たときの衝撃は空いた口がふさがらないほどであった。

私はこのPVに伊藤万理華の様々な魅力と彼女の人生感というか、アイドル卒業につながる経験が凝縮されていると考えている。

 

冒頭のシーンは伊藤万理華(以下;伊藤)が車の中で彼氏と思われる男と戯れるシーンから始まる。

それは一見「カップルのイチャイチャ」であるが、どこか違和感があるシーンでもある。暴力性やDV的な要素も含んだバイオレンスさを感じる。どこか伊藤が弄ばれているといった印象をいだく。主導権は男性側にあるようだ。

 

車から放り出され、水たまりに飛び込む伊藤。

「(アイスクリームが)服についた」と伊藤がおどけて、彼氏に問いかけるが反応はない。

1人トイレに向かう伊藤の表情は、今にも泣き出しそうな、それを必死にこらえているような印象を受ける。怪我をした足を引きずりながら。

 

ここで本PVタイトルの『トイ』の意味がわかった気がした。

伊藤は「おもちゃ」なのだ。そして必死にすがりつく道化師。そんなことが連想される。

 

伊藤はトイレで顔を洗い、口紅を塗り直す。

口紅の色は鮮血の赤である。

心に厚化粧をするかのように。

そこでふと真横の鏡に目が入る。

 

そこに映るのは「あわれな自分」であったと想像される。

そんな本当の自分に目を背けるように、その鏡に向き直し、再び口紅を塗る。

伊藤の目つきから感じるのは「意地」と「否定」だ。

道化師としての自分を必死に保つように。

 

車が出る音が聞こえた。

はっと我に返る伊藤。慌てて駈け出すも車の姿はない。

のこされたのはぐちゃぐちゃに投げ捨てられた伊藤のカバン。

カバンの中身を拾い集める伊藤、手鏡が目に止まった。

鏡に映るのは「哀れな自分」。

落胆、絶望、疲労。

表情が語るのは「やっぱりか…」そんな言葉だと思う。

 

音楽とともに狂ったように踊る伊藤。

真っ白な自己表現。

踊り終えたのちの静寂。

 

再び鏡に映る自分を見る。

さきほどより幼い力の抜けた自分の顔。

「これが本当の私か」と言わんばかりに。

 

伊藤の頬を涙が伝う。目は朝日に向いている。

この時の感情はなんであろうか。

鼻をすする伊藤の表情は、どこか納得したような笑みにも映る。

「そうだよね、私わかった」

 

 

伊藤自身の再出発を告げるようなそんな終わりである。

 

彼女が表現したかった彼女が見ていた世界を、想像してみる。

決して彼女が乃木坂で過ごした4年間は楽しいだけの思い出ではないだろう。

自身の才能と意図に反して、現実に歯を食いしばって、偽りの自己を演じなけらなならない時もあったろう。

「アイドルらしくない」と伊藤自身も語るように、彼女にとってアイドルが足かせとなったかもしれない。

その中でそれでも、アイドルにこだわりながら歩んだ4年間は彼女にとって無駄ではない4年間であったことは確かであると伊藤自身も感じていると思う。

 

そんな彼女から発せられるメッセージとして、私の目にこのPVが焼きついた。

暗闇を抜けたすがすがしさを感じる彼女らしい作品であると感じる。

 

おしまい。

#伊藤万理華 #脳内博覧会 #乃木坂46 #トイ #まりっか #エトランゼ 

 

伊藤万理華写真集 エトランゼ

伊藤万理華写真集 エトランゼ

 

 

アートアクアリウム 広島

こんにちは。

台風一過で、広島は昨日は涼しくて、逆に寒いぐらいでした。

今日も涼しさは続いています。

 

前回記事でアメリを紹介してから、日が空いてしまいました。

いつものことですな。

イヴ・サンローランはまだ紹介できてませんが、今回は先日行って来た「アートアクアリウム 広島」について書こうと思います。

 

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ホームページはこちら→アートアクアリウム | 広島

 

さまざまな金魚を集めた、金魚だけアクアリウムで、館内もなかなか広くて、ゆっくり見て回ることができました。

 

金魚といえば和、特に個人的なイメージてとしては花魁を彷彿とさせます。

これも金魚が観賞魚であることがそう思う原因なのかと思います。

会場の照明や雰囲気も吉原・遊郭を思わせるような作りで、作者をそれを意図しているようでした。

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疑問に思ったので少し調べたことを付け加えますが

江戸時代、金魚を愛したのは色町で働く遊女だったようです。

金魚を眺めることは、遊郭に閉じ込められ、自由を奪われた遊女のささいな楽しみ。

ビードロの小鉢の中でしか生きていくことのできない金魚に自らの境遇を重ねていたのかもしれません。

とそんなことを思いました。

 

広島ではなかなかないイベントだし、見ごたえもあるし、写真撮影も可能なので、近隣にお住みの方はこの夏是非いってみるといいかもしれません。

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偏見的な目で見る『アメリ』

昨日、柄にもなくフランス映画を借りました。

正直なところ初めてのフランス映画です。

なのでまだ「おフランス」ですね。と皮肉を挟んで感想を書きます。

 

見たのは

フランス映画の代表と言われる『アメリ』

レンタル屋で目にとまった『イヴ・サン=ローラン』

の2本です。寝付けなかったので続けざまに見ました。

 

はじめに『アメリ』について

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この映画は友人から教えて貰った映画で、タイトルだけは知っていたのですが、特に借りてまで見ようとも思っていなかったんです。

 

それが、先日たまたま市内の古書堂さんに立ち寄った際、古い映画のパンフレットが詰まった箱を漁っていて、これもたまたま「アメリ」のパンフが目にとまって、ああこれも何かの縁じゃないかと手を出すまでに至りました。

 

何かにつけてこれも縁、あれも縁ってこじつけたがりな癖がでたんですな。

 

 

ざっとあらすじを書くと、神経質な母と元軍医で冷酷な父との間に生まれたアメリが、人との付き合い方を知らないまま、自分の空想の世界に閉じこもったまま育ち、周りの人間との関わりや恋を通して、自分の殻から一歩踏み出してみようとする恋愛映画です。(詳しくはWikiを→アメリ - Wikipedia)

 

 

さて、この映画の個人的な見所は2つあります。

 

1つ目は『シリアスなジョークとユーモア』

 

アメリは結構なイタズラ好きです。

例えば、嫌味な八百屋の店長の家に侵入して、歯磨きチューブを靴のクリームと取り替えたり、目覚ましの時間を早めたり。

 

父親の庭の人形を盗んで、キャビンテンダント?に頼んで世界中を旅をさせ、その写真を父親のもとに送らせたり。などなど。

 

その1つ1つが嬉々としていて、思わずにやけてしまうようなシーンが多くあります。

またイタズラをして喜んでいるアメリがとても可愛い

 

2つ目は『ああ、これぞフランスだ~って思う』ことです。

こういうと馬鹿っぽいですが、というか馬鹿です

 

フランス映画って美術作品が出てくるイメージが強かったんですが、本作でもホレみたことかって具合にルノワール「舟遊びの人々の昼食」が取り上げられてます。

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この作品を1年かけて模写する老人がいるのですが、どうしても「絵の中央で水を飲む少女」をうまく書く事ができないとアメリに漏らします。

 

この少女、アメリに似て、内気で気になる異性を眺めているだけというような視線をしています。

 

あとで調べたのですが、この少女のモデルとなったアルジェラという人物は、実際、アメリとは正反対でおしゃべりな女性だったようです。この老人は少女をもってして、アメリを勇気付けようとしてたんですね。

 

他にも、ミヒャエル・ゾーヴァの絵画が登場しているようです。(調べて知った)

 

あとは露骨すぎるまでのザ・パリジャンの日常や音楽といったのも、これぞフランスってなるものばかり。

 

 

自分が面白いと思ったのは上の2つですが、ラストシーンでは、ついに内気なアメリも意中の男性と結ばれるっていうハッピーエンドで、全体的に少女趣味な映画だったと総括します。

 

アメリのストーカー気質なところとか結構好きでした。

 

気になった方のために予告を載せておきます↓


Amelie (アメリ) - Yann Tiersen - YouTube

霞を食って生きるセイジ

こんばんは。

しばらく更新をサボっていました。

 

タイトルになっている、「霞を食って生きる」

浮世離れして、収入も無しに暮らすことのたとえだそうです。

 

とても綺麗な日本語ですね。

お恥ずかしながら、最近知った言葉です。

僕は知ったことをすぐに使いたがる人なので、ブログのタイトルにしてみました。

 

というのも実は、「霞を食って生きる」っていうのが、今日紹介しようと思う小説にぴったりの言葉なんです。

 

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「セイジ」/ 辻内智貴 という本です。

 

就職が決まり、夏休みに自転車で旅行をする主人公が、偶然立ち寄った山間の喫茶店で「セイジ」という人間に出会い、一夏を過ごした、その思い出を回想的に綴った小説です。

 

この「セイジ」という人間がまさに「霞を食って生きる」がぴったりと当てはまる人間だと感じました。

 

セイジは喫茶店の雇われ店長で、一生懸命仕事をしている分けではなく、好きな時に起き、好きな時に出かけ、好きな時に店を開き、好きな時に眠るそんなような人間です。

 

こういってしまえば、なんだか「駄目な人」みたいですが、「セイジ」の人間性には惹かれるところがあります。

 

物語にも述べられているのですが、「セイジ」というのは人間が生きるということ自体を真剣に考えて生きている、人の痛みに敏感な感受性の豊かな人間だといえます。

 

それは「生活のために仕事をしてお金を稼いでいる」俗世の人々、言い換えれば、「生きることの表面上」しか見ていない社会から解脱したような生き方をしているといえます。

 

生きることの本質を追求するような、そんな「セイジ」の生き方を、僕は、とても生き辛そうだと感じました。

 

感受性が豊かというのはいいことのように思えますが、同時に度が過ぎれば、「感じすぎる」ということでもあるように思います。

 

人の「心」に敏感すぎる人にとって、この皆が皆「生き急いでいる」ような人間社会は生き苦しい世の中なのではないでしょうか。

 

作中の店のオーナーの言葉にセイジの人間性を模写したような言葉があります。

 

「陸の魚」

 

人間社会に適応しきれないような、ほっとけば死んでしまうようなそんな存在。「セイジ」を一言でまとめるならこの言葉です。

 

そんな彼の人間性に主人公は惹かれていくのです。

 

 

さて物語終盤。衝撃的な事件が起こります。

 

セイジの店にたまに顔をみせるお爺さんの息子夫婦が殺人事件に巻き込まれてしまうのです。

 

両親を目の前で惨殺され、手首を切り落とされたお爺さんの孫は固く心を閉ざし、感情を失った廃人のような生活を送ります。

 

そんな状況の孫を見て、「この子は何のために生まれてきたのか」というお爺さんの問にセイジがとった行動が彼の人間性を極端にまでも表した行動でした。

 

セイジはおじいさんの孫の前で、自らの腕を切り落としたのです。

 

これがお爺さんの孫の「心」を強引にこじ開けることとなりました。

 

一種の暴露法のような治療になったのではないかと僕は思います。

 

それはセイジの「優しさ」が起こした行動であり、その優しさは「強さ」であって、逆に「弱さ」でもあったのではないでしょうか。

 

おじいさんの孫はその後、快方に向かましたが、その逆だって十分にありえたことですから。

 

しかし、この小説を読み終えたとき、何か気持ちがスッキリとしたような、そんな感覚を覚えました。

 

きっと、僕自身も「セイジ」という人間に魅せられてしまったからでしょう。

 

脆く、壊れやすいが、芯のしっかりとした優しい青年セイジ。

現実にも「セイジ」に似た人を何人か知っています。

 

そんな人と僕は友達になりたいなと思うのです。

 

おしまい。

 #セイジ #辻内智貴 #レビュー #感想

『AMERICAN HISTORY X』から見る差別

おはよう。

じめじめした梅雨の季節をいかがお過ごでしょう。

僕は汗っかきなので、この季節は特に苦手で、タオルは必携。

早く夏になりきってしまえば、まだましなのにと思う近頃。

 

さて、今日は「アメリカン・ヒストリー X」という映画を取り上げて、あーだこーだ言いたい。

 

この映画は今僕が働いているbarのマスターから教えて頂いた名作というか問題作。

 

 

 

アメリカン・ヒストリーX [Blu-ray]

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概要を説明すると、白人至上主義の黒人差別に焦点を当てた映画で、主人公のデレクとその弟ダニーを軸に回想シーンを挟みながら物語は進んでいく。

 

父親を「黒人」に殺されたことで、「黒人」へ怒りを募らせるデレク。彼は、白人至上主義集団のリーダー的存在で、彼の過激な言動によって、家庭はぐちゃぐちゃだった。

 

物語は、「黒人」の車泥棒を殺害したことで3年間の服役を余儀なくされたデレクが、刑期を終え家族の元に帰ってくるところから始まる。

 

白人至上主義組織や組織に傾倒する弟のダニーは彼をヒーローのように迎え入れるが、デレクは以前と全く違って、落ち着いた穏やかな人間へと変わっていた。

 

それは服役中、役務のパートナーとなった黒人の囚人ラモントとの交流を経て、自分が「黒人」を敵視していたことの無意味さを知ったからである。

 

少しずつ考え方が変わり始めたデレクは案の定、刑務所の白人集団に目をつけられ、リンチされてしまう。

失意のどん底にたたきのめされたデレクのところに、恩師が見舞いにやってくるのだが、彼がデレクに投げかけるセリフが実にいい。

 

「怒りは君を幸せにしたか?家族を幸せにしたか?」

 

一時の怒りに身を任せて行動することが如何に無益なことか、デレクは痛みをもって思い知ったであろう。

 

ラモントの影ながらの助けを借り、その後何事もなく刑期を終えたデレクは白人至上主義集団を抜け、自分のいない間にすっかり白人至上主義に染まりつつあった弟のダニーをも改心させる。

 

新転地に身を移し、家族揃って再出発を誓う。

ここまでは、なかなかの重みのあるハッピーエンド展開なのではないだろうか。

しかし物語はここで終わらない。

 


American History X - Ending - YouTube

映画はクライマックス。

弟のデレクが黒人の少年に銃殺されるこのシーン。

差別の怒りと憎しみの連鎖が痛いほど伝わる。

 

 

KKK、燃える十字架に始まり、アメリカに強く根付いた、白人優位主義的考え方は、デレク1人が改心したところで、変わることはない。

それはまた差別される「黒人」側も同じで、虐げられてきた憎しみを忘れることはない。

 

 

父親を殺された憤り、不安から「黒人」=「悪者」というラベルを貼った瞬間、デレクにとって「黒人」は人間ではなく、カテゴリーとして見られるようになった。

 

「黒人」というカテゴリーに「属する」人間は、「例外なく」悪者であるという考えが固定されてしまった。

 

世代を超えて染み付いた白人優位の考え方が、それに拍車をかけ、父親を失ったやり場のない怒りを抱える青年を差別集団のリーダーへと豹変させた。

 

幸運にも、刑務所での良き出会いによって、デレクは考えを改めるが、時すでに遅し。

自分のやってきた差別行為は振り返り、反省することはできても、塗り替えることはできない。

 

「黒人」の恨みの対象はデレク本人は然り、その家族にまで及んだという次第。

 

怒り、憎しみ、悲しみの連鎖が収まることはない。

 

 

これは、単に本作の黒人差別だけに限ったことではないだろう。

あらゆる差別、戦争、紛争すべてに共通することではないだろうか。

 

人種や国籍で人をカテゴリー化、集団化することが招く連鎖。

 

一人間として他人を理解しようとする志を皆が持つことができればいいのだが、そんなことは今となっては机上の空論であろう。

 

この映画の最後はアメリカ大統領リンカーンの就任演説を引用したダニーのエッセイで締めくくられる。

「私たちは敵ではなく、友だ。敵であるはずがない。激情におぼれて愛情の絆を断ち切るな。仲良き時代の記憶をたぐりよせれば、よき友になれる日は再び巡ってくる」

 

胸にしまって置きたい言葉だ。

以上、この映画の感想。

 

『STAND BY ME』から見る本当の友達

1週間前ぐらいに久しぶりに映画を借りた。

スタンド・バイ・ミー

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(左から)

真面目で文才のあるゴーディ

正義感の強い切れ者ガキ大将のクリス

癇癪持ちのメガネ、テディ

小太りでいじられキャラのバーン

この四人が「死体」を探しに旅に出る、一夏の冒険の物語。

 

性格も家庭環境も違う4人。それぞれ悩みを抱えている。

でも彼らはいつも一緒にいて、じゃれあいながらもお互いのことを認め合っている。

 

映画の中で特にぐっときたのは、クリスがゴーディに悩みを打ち明けるシーンだった。

ゴーディはクリスに自分と一緒に進学しようと進める。

しかし、クリスの家庭環境は悪く、そのために彼は自分の将来に悲観的で、自分も将来は犯罪を犯すのではないかと思い悩んでいた。

その胸のうちを涙ながらに「どうしたらいいかわからない」とゴーディに伝えるシーンはつい目頭が熱くなった。

 

のちに小説家になったゴーディはこの夏の冒険を振り返り、こう綴る。

「あの時のような友達は二度とできることはなかった」

ちょっぴり切ない気もするが、ゴーディにとって3人の友達の存在は大きな心の支えになったことだろう。

 

悩みを打ち明けることのできる友達がいるのはいいことだ。

一緒に泣いたり、笑ったりできる友達がいるのはいいことだ。

それだけで救われる。

友達は少なくていいから、深いほうがいい。

僕もいままでちゃらんぽらんに生きてきたけど、幸いに友達には恵まれている。

毎日会うような友達やたまにしか会えないような友達。大人になってなかなか会えなくなってもたまには連絡を取って会って一緒にお酒を飲みたい。

 

ってこの映画を見て思った。

ついでにこの映画、主題歌もいいし、挿入歌もいい。


スタンド・バイ・ミー - YouTube


Stand By Me - Lollipop - YouTube

この2曲がお気に入り。

つい歌いだしてしまいそう。

夏を前にいい映画に出会えた。