ろまんすのかみさまを

エンタメ系レビュー。日々の細々はTumblrで。ノリノリで記事を書いて、後で読み返して赤面してます。

『AMERICAN HISTORY X』から見る差別

おはよう。

じめじめした梅雨の季節をいかがお過ごでしょう。

僕は汗っかきなので、この季節は特に苦手で、タオルは必携。

早く夏になりきってしまえば、まだましなのにと思う近頃。

 

さて、今日は「アメリカン・ヒストリー X」という映画を取り上げて、あーだこーだ言いたい。

 

この映画は今僕が働いているbarのマスターから教えて頂いた名作というか問題作。

f:id:takkiz-716:20150615002016j:plain

概要を説明すると、白人至上主義の黒人差別に焦点を当てた映画で、主人公のデレクとその弟ダニーを軸に回想シーンを挟みながら物語は進んでいく。

 

父親を「黒人」に殺されたことで、「黒人」へ怒りを募らせるデレク。彼は、白人至上主義集団のリーダー的存在で、彼の過激な言動によって、家庭はぐちゃぐちゃだった。

 

物語は、「黒人」の車泥棒を殺害したことで3年間の服役を余儀なくされたデレクが、刑期を終え家族の元に帰ってくるところから始まる。

 

白人至上主義組織や組織に傾倒する弟のダニーは彼をヒーローのように迎え入れるが、デレクは以前と全く違って、落ち着いた穏やかな人間へと変わっていた。

 

それは服役中、役務のパートナーとなった黒人の囚人ラモントとの交流を経て、自分が「黒人」を敵視していたことの無意味さを知ったからである。

 

少しずつ考え方が変わり始めたデレクは案の定、刑務所の白人集団に目をつけられ、リンチされてしまう。

失意のどん底にたたきのめされたデレクのところに、恩師が見舞いにやってくるのだが、彼がデレクに投げかけるセリフが実にいい。

 

「怒りは君を幸せにしたか?家族を幸せにしたか?」

 

一時の怒りに身を任せて行動することが如何に無益なことか、デレクは痛みをもって思い知ったであろう。

 

ラモントの影ながらの助けを借り、その後何事もなく刑期を終えたデレクは白人至上主義集団を抜け、自分のいない間にすっかり白人至上主義に染まりつつあった弟のダニーをも改心させる。

 

新転地に身を移し、家族揃って再出発を誓う。

ここまでは、なかなかの重みのあるハッピーエンド展開なのではないだろうか。

しかし物語はここで終わらない。

 


American History X - Ending - YouTube

映画はクライマックス。

弟のデレクが黒人の少年に銃殺されるこのシーン。

差別の怒りと憎しみの連鎖が痛いほど伝わる。

 

 

KKK、燃える十字架に始まり、アメリカに強く根付いた、白人優位主義的考え方は、デレク1人が改心したところで、変わることはない。

それはまた差別される「黒人」側も同じで、虐げられてきた憎しみを忘れることはない。

 

 

父親を殺された憤り、不安から「黒人」=「悪者」というラベルを貼った瞬間、デレクにとって「黒人」は人間ではなく、カテゴリーとして見られるようになった。

 

「黒人」というカテゴリーに「属する」人間は、「例外なく」悪者であるという考えが固定されてしまった。

 

世代を超えて染み付いた白人優位の考え方が、それに拍車をかけ、父親を失ったやり場のない怒りを抱える青年を差別集団のリーダーへと豹変させた。

 

幸運にも、刑務所での良き出会いによって、デレクは考えを改めるが、時すでに遅し。

自分のやってきた差別行為は振り返り、反省することはできても、塗り替えることはできない。

 

「黒人」の恨みの対象はデレク本人は然り、その家族にまで及んだという次第。

 

怒り、憎しみ、悲しみの連鎖が収まることはない。

 

 

これは、単に本作の黒人差別だけに限ったことではないだろう。

あらゆる差別、戦争、紛争すべてに共通することではないだろうか。

 

人種や国籍で人をカテゴリー化、集団化することが招く連鎖。

 

一人間として他人を理解しようとする志を皆が持つことができればいいのだが、そんなことは今となっては机上の空論であろう。

 

この映画の最後はアメリカ大統領リンカーンの就任演説を引用したダニーのエッセイで締めくくられる。

「私たちは敵ではなく、友だ。敵であるはずがない。激情におぼれて愛情の絆を断ち切るな。仲良き時代の記憶をたぐりよせれば、よき友になれる日は再び巡ってくる」

 

胸にしまって置きたい言葉だ。

以上、この映画の感想。